Source: MUSIC

パメラの店の雰囲気や何故このジャンルの仕事をしているか? と取り上げる映画、音楽、旅などを視覚的に聴覚的に紹介していきます。

BOLA  SETE  (BRAZIL/NY)     Bossa Nova (LP) 1962

ボラ・セチと読みます
Fantasy Labelから1962年に発表されたボッサギターとヴォーカリングが素晴らしい最高傑作!名盤といわれています。これを知ったのは90年代半ばSOMETHING WEIRD VIDEOという会社から無数のスプラッター映画がリイシューされ、その中のバーレスク特集のVIDEOを集めていて、この中の60’S Go-Go Chicksに収められていたフィルムのトランジションのところで流れる挿入歌がエロ・ボッサギターのインスト曲でした。
これがたまらなく格好良く、誰の何て言う曲なんだろうか?と探してみた結果、後に判明でき、見つけることのできた垂涎のアルバムというわけでした。

中でもこのインスト曲 Up The Creek がやられちゃいます~

DON DRUMMOND (JAMAICA)  Don Drummond 100years after (LP)

ドン・ドラモンドといえば言わずと知れたトロンボニストであり恋人を殺してしまい、それが原因で
有名なスカタライツというジャマイカ最高のスカ楽団も解散となってしまった。彼自身も30代でなくなってしまったが、このアルバムと出会った80年代後半にそれまで聞いていたあらゆる音楽とは一味も二味も違う何か、危険さを感じ取った。 フレーズがとにかくヤバく任侠映画の挿入で使われているようなヤサグレた荒廃したイメージとエロスに虜になった記憶が蘇る

中でも,面最後の曲  Dick Tracy がお気に入り

PRINCE BUSTER (JAMAICA)  One Step Beyond

One Step Beyondと言えば 1980年頃一部の日本人の若者がロンドンで流行っているシーンを
追いかけ、そんな中 (THE MADNESS)のこの曲がとてつもなく格好良く、すかして聞いていたころを思い出す。が、実際はこちらがオリジナルのジャマイカスカのキラーチューン!激ヤバな曲
1965年の曲といえば自分の生まれた年。考え深いものがある

CUMBIA CARTAGENA  (COLMBIA)  (VA)

コロンビアのカリブ海の都市カルタヘナで当時のクンビア・カリプソ・デスカルガの
オリジナル盤を収集してコンピレーションアルバムにしたという貴重な音源がこの2枚組の
アルバムで堪能できる
最高のお気に入りはやはり、この曲
Lucho Bermudez y su Orquesta の Fiesta De Negritos
で決まり!  60’sクンビアの刺激的な曲です!

Slovic Soul Party  (NY)

バルカンジプシーブラスバンドも大好きです。 こちらのSlovic Soul Party
は現在はNYに移り活躍中の大好きなBAND スタンダード曲の(Opa Cupa)
が特に好きな曲 2007年に発売されたテクノチューク・コリジョンで聴くことができる
アラビックな音階とSKA/FUNK/GYPSY/FORK/JAZZ/SWINGなどをコンバインした
レアグルーヴ出来なサウンドに仕上がっている 店でもよくかけます~

記憶の1枚めは LAS VEGAS GRIND VOL 3

これは1950年代後半から60年代初めの スリージーなバーレスクミュージックです。
コンピレーションアルバムで、A-side,B-sideすべてで21曲を収録しています。
僕も20年ほど前はBANDをしていまして、 とにかくこのアルバムの曲を模倣(カヴァー)していました。
お気に入りは A面の4曲目 The Bikinis “CRAZY VIBRATION” てSAXのインスト曲です。なんとフラメンコで使うパリージョ(カスタネット)から始まる実に妖しいエロインスト曲! 続いてB面の1曲目 Majestics “RIDING BY” こちらもややスピード感あるテナーサックスのインストです。
今の仕事を形成する中で確実に役立っている素晴らしい色気~メロディ~

続いて2枚目は JUNGLE EXOTICA VOL2

こちらもやはり1950年代後半から60年代中期あたりのバーレスク・R&R・プリミティブなリズム&ブルース・ラテンチューンされたサーフインストなどです。 A,B-side で18曲を収録しています。
お気に入りは Puddle Jumpers “SNAKE CHARMER” 激ヤバのカッコよさのサーフインスト曲! 1000回くらい練習したかな?危険な気持ちにさせてくれる曲。 最初のクレジットロールとかも斜めに乱暴に入れて溶けて消えるようなインデックスを使って、この曲から始める、映画を作りたいな~ 後は The Whips “YES MASTER” イエ~ス、マスタ~♪って面白いでしょ? ジャケ裏面はカワイイフラガールなんですが、曲とのイメージは全く違うけれど。。 ビザーロな感じなんです。

山本リンダ

僕がこうなってしまった理由には過去を洗ってくとそれなりに分析できます。まずは7~8歳の頃かな。初めて自分で買ったレコードが山本リンダでした。タイトルは 「どうにもとまらない」 とこの「狙いうち」 ですが、他にも少年には刺激的過ぎるタイトルが多かったですね~
70年代は本当にある意味ぶっ壊れていましたね。~僕は小学生とはいえ、彼女が世間のお姉さんとはビジュアルが違う!って気づいていました。まずはアイメイク。 目元がアイラインとアイラッシュでかなり恍惚的な魔性を嗅ぎ取っていました。
このイケナイ感じのイケナイ物を常に感じ取るアンテナがこの時期に形成されたのはあきらかにこのリンダでした。この頃からメイキャップに興味を持つこととなりました。

高田誠一さん

80年代日本を牽引した最高にカッコいいROCKABILLY BAND 「Black Cats」のVo でした。
原宿のガレージパラダイスの定員だけで構成されたバンドとして、大変な人気でした。 個人的にはサードアルバムの「いとしのベリンダ」とか「ピンクのレモネード」とかが好きでした。

僕も高校生の頃 ロカビリーバンドを模倣してコピーバンドをやりました。ミッドセンチュリーの魅力を存分に伝授してくださいましたCREAM SODAの皆さまには大変感謝しています。ヘアスタイルから家具、そしてファッション、音楽と、ティーンネイジャーの敏感な頃の感性を満たしてくださいました。それがきっかけでいつか高田誠一さんに会うことができたらいいな~。とか髪の毛を担当出来たら夢のようだなぁ。とか思って上京したもんでした。 そんな雲の上のような人のその夢が叶のってしまい94年から99年まで渋谷の私の店「MAJESTRIX]にお越しいただき,壱、お客様として、更にはプライベートでも大変可愛いがっていただきました。2004年に突然のお別れとなりましたが今 も尚、私の中でしっかりと刻んでおります。 ”僕が出会うことができた一番のハンサムな日本男児”” 安らかに~